ケーブル・ワイヤー・チューブ・シート製造装置・試験装置メーカー・ロボットシステム・AIシステムのシステムインテグレータ

社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents


小学校4年生の熊田氏、遠足にて(左手前の手すりを滑っているのが熊田氏)


大好きな電車に乗り、美術館によく出かけた(小学4年生の頃の奥山)

奥山が制作中のプラモデル

宮西: 熊田さんと奥山社長とはラジオ番組でご一緒して意気投合されたとか。同年代ということですが、熊田さんのご出身地はどちらですか? そして、どのような子供時代を過ごされたのですか?

熊田: 生まれ育ったのは名古屋です。小さいときはやんちゃでしたね。頭から血を流しながら遊んでいるような子でしたよ。木登りや高いところが大好きで、野球グラウンドのフェンスを上ったり、公園にいっては樹木を制覇していったり……。
小学生の頃は父親が国鉄(当時)で車掌をしていた影響もあり電車が大好きでした。電車の運転手になりたいと思っていましたよ。

奥山: 自分も電車が好きでした。当時はブームでもあり、ヘッドマークなどがかっこよくて、よく写真を撮ったりしていました。ブルートレインとか大好きでしたね。

熊田: 僕は軽い鉄ちゃんでした。でも考えてみれば鉄道だけではなく乗り物全般が好きでした、電車も好きだし、車や飛行機も憧れていましたね。

奥山: 一緒! 自分もパイロットになりたかった。伊丹(大阪)空港が近かったので、飛行機が家の上空を通るたびに空を見上げていましたね。映画「永遠の0(ゼロ)」を見て子供の頃の夢を思い出して、ゼロ戦のプラモデルを作っているんですよ(笑)永遠の憧れですね。

熊田: 私の場合、鉄道好きは、やはり父親の影響が大きかったと思います。当時は社会全体も緩かったので、職場に連れて行ってもらって、小さな駅のホームで父親の仕事を手伝ったりしました。今の職員さんがやったらクビでしょうね(笑)

奥山: それは羨ましいなあ(笑)その後の進路はどのように決定していったのですか?

熊田: 電車の運転手は小学生の頃に憧れたのですが、中学生になると大分変わっていきました。この頃になると核融合といってエネルギー関係のことを勉強したいと思うようになったのですね。

奥山: どうしてエネルギー関係に興味を抱いたのですか?

熊田: これも父親の影響だったと思います。これといった転機があったのではないのですが、父親は僕を近くの科学博物館などによく連れていってくれて、エネルギーについてさまざまな話をしてくれました。そんななかで、少しずつ興味を抱いていったようです。そこで核融合の研究者になりたいと思うようになり、高校は理系のクラスに入りました。いろいろな大学の研究施設を見にいったりしながら、このような世界に入ることを夢見るようになっていったのです。



奥山: そして大学も理系に進んだのですか?


熊田: いや、実はここで大きな転換点がありました。僕が高校生の時に国鉄が分割・民営化し、JRになりました。親父は国鉄の車掌でしたが、職員であったので、リストラされてしまったのです。
息子がいうのもなんですが、父親は電車が大好きで、こつこつと、まじめに働いていたのに、政治家の判断で結局、リストラされてしまった。
この事実を知ってショックを受けました。父親の仕事がなくなったのです。暮らしも厳しくなりました。理不尽だと思いました。政治家が決めたことで一般庶民の暮らしが大きくかわるのだということを目のあたりにしたことは、私の人生に大きな影響を与えました。この経験により初めて政治を意識するようになりました。


奥山: なるほど。それから政治家を目指したということですね。

熊田: とはいえ当時はまだ中選挙区制で、国会に出るには4億円から5億円の資金がかかる時代でした。僕みたいにリストラ家庭の普通の人間が国会に行くことはとうてい不可能です。
でも大学は法学部を選び京都大学に行きました。自由な校風でしたし、大学生の肩書で国会議員のところに行けば、会ってくれたりするわけです。
いろいろな省庁の局長クラスの人のところにいってお話を聞かせてもらったりすると、ますます刺激を受けました。そんな気持ちを知って、大学時代のゼミの教授が、同じ研究室の先輩で国会に立候補する方を紹介してくださいました。
その人も高校時代にお父上の倒産でご苦労された方だったのですが、それでも国会議員候補として活動を始めていました。その人を見て、自分の環境のせいで諦めるのは逃げに過ぎないと恥じ入りました。同時にどうにか政治に携わる分野で頑張ろうと思ったのです。

奥山: 国会議事堂の視察にご一緒させていただきましたね。臨場感があり印象的でした。政治の世界に入るのは、相当難しかったのではないですか? それからどのようにして政治家になっていったのですか?

熊田: 何も世間を知らない大学生ですから、いきなり政治はできないと思っていましたし、先ほど申し上げたようにエネルギーについて興味がありました。そこで、どの分野に進んでも政治は必ずかかわってくると思ったので、まずはエネルギー、特にもともと興味のあった核融合を含めた分野を勉強して、専門性を身に着けた上で政治にかかわろうと思ったのです。核融合といえば理系の分野になりますが、大学選びでは政治に関心があったので、文系の大学で学び、卒業しています。もはや研究者としては採用されることは無理なので、エネルギーの現場を知るためもあり、一般職として三菱電機に就職することができたのです。

奥山: 三菱電機ですね。これがまた奇遇です。HCIは今、三菱電機のロボットゴールドSIパートナーになりましたから、ここでもご縁が深いわけですね。(第1話終わり)


国会議事堂にて


<熊田篤嗣さんプロフィール>1971年3月3日(46歳)名古屋市で育ち、愛知県立旭丘高等学校、京都大学法学部卒業。三菱電機勤務を経て衆議院議員の公設秘書を務める。2003年の第43回衆議院議員総選挙、2005年の第44回衆議院議員総選挙に大阪1区より出馬し次点。2009年に三度目の挑戦で初当選。国土交通委員会、経済産業委員会などに所属。東日本大震災の折には、福島第一原発政府・東電総合対策本部のリモートコントロール化(ロボット化)担当として、放射線量の高い事故現場に投入するロボットを調達したり開発したりする役割を担う。2012年、消費増税関連法案の衆院採決で造反し、後に民主党を離党。2012年の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で大阪1区より出馬するも、比例次点で落選。