対談
第39回:(株)HCI代表取締役社長 奥山浩司(剛旭) ×国立研究開発法人産業技術総合研究所 加藤智久研究チーム長
すべては福井大学から始まった(第1話)
約30年前に福井大学を卒業した加藤智久さんと奥山浩司(剛旭)社長。同じく材料化学科で学んだ後、二人のたどる道は? そして30年が経過して再会、令和2年1月に加藤さんの勤務する産総研(国立研究開発法人産業技術総合研究所)での対談が叶いました。パワーエレクトロニクスの開発に携わる加藤さんとロボットやAIの部門で活躍している奥山社長。今、時代の最先端を行くお二人に今の仕事にたどり着いた過程、そして未来の世の中がどうなっていくのか、またお二人の生き方などについて語っていただきました。
すでに30年前のこと。福井大学で出会った加藤研究チーム長と奥山社長。二人はどのような青春時代を過ごしていたのでしょうか? 子供の頃からの夢、大学を選んだ理由。お互いに当時の相手を見ての印象、大学時代の思い出、大学を出てからの二人の道のり、現在の仕事にたどり着いた経緯などを楽しく語り合っていただきました。
宮西: 最初に加藤さんから。どのような子供時代を過ごされていたのですか?
加藤: 父親が会社員で技術屋でしたし、私に理系男子になってもらいたかったのだと思いますが、小学生だったある日、私に学研の百科事典を全巻そろえてくれたことがありました。それがとても嬉しかった記憶があります。それ以来、毎日のように図鑑を眺めては暮らしていましたね。結果的に小学生の頃からすっかり理系男子になって、ある時、卒業時の文集を見返したら「僕は科学者になる」と書いていました。(笑) そして気が付けば結局、科学者になっていました。とはいえ必ずしもスムーズな人生ではなく受験で破れたこともあり、福井大学時代も決して成績のよい学生ではなかったですけれどね。
奥山: 自分も同じく(笑)
宮西: どんな科学者になりたかったのですか?
加藤: モノづくりにかかわる仕事をしたかったですね。人間が便利に生活できるのはすべてモノのおかげだと思っています。つまり、生活の革命を起こすものはモノだと思うのです。大学院は名工大に行きましたが、そこでもずっとモノづくりに取り組み、博士論文を書きました。このような流れの中で研究の面白さがわかり、仕事に生かそうと思うようになりました。
宮西: 奥山社長はどのようなきっかけでしたか?
奥山: 自分の場合は、高校の先生から「材料の道に進めば、どのような業界でも通用し、くいっぱぐれがない」とアドバイスをもらって(笑)。第一志望は大阪府立大学でしたが、受験に失敗し、浪人もしました。翌年になって、さすがに2浪するわけにもいかず、伯父伯母が福井にいたこともあり、福井大学を受けました。こうして材料化学に入学したものの、実際に自分がなりたかったのは「社長」でした。工務店を経営している羽振りのよい伯父がいたので、「社長はすごいなあ」と思って憧れていました。そして自分は絶対に社長になると思っていましたね。
宮西: 大学では同じクラスでしたか?
加藤: ずっと同じクラスでしたね。でも中学や高校と異なり、大学のクラスは友達といつも一緒にいるわけではなく、授業に出席した時にだけ会うという関係でした。たまにご飯を一緒に食べるというような、良い意味でライトなつきあいだったように思います。
宮西: 初対面の時の印象はいかがでした?
加藤: すみませんが、初対面の頃はあまりよく覚えていません。(笑) 私は体育会系のヨット部に入っており、4年目の研究室に入るまでは週末は部活に専念していたので、同じ学年の学友と生活上、密接に過ごすことも元々していなかったように思います。
奥山: 自分もずっとアルバイトをしていましたから、あまりよく覚えていない(笑)。入学当時は友人に懇願されて天文部に入ったけれど、すぐにやめてしまい、あとはアルバイト三昧でした。こうして改めて考えてみると、自分が着眼しているところはいつもお金やな(笑)
加藤: でも冬場になると、一緒にスキーに何度もいったことがあったよね。
奥山: そうそう、海にも一緒に行ってバーべキューなどを楽しんだな。誰かがギターを弾いていたっけ……。
加藤: あったあった! そういえば、あれはたしか僕がギターを持って行って弾いていたと思う。(笑) これは今でもちょっとした趣味なんです。
奥山: 加藤は今もヨットを続けていて、子供たちのヨットスクールでも教えているんだよね。
宮西: ヨットにギター。素晴らしいですね。
奥山: 加藤のフェイスブックを見ると、仕事以外も充実した生活をしていることがよくわかるな。
宮西: ゼミは一緒だったんですか?
加藤: 4年生になって奥山君と同じ研究室に入りました。私は当時の助手の先生に付いて研究をしましたね。
奥山: 自分は教授に付いた。当時、教授の元には自分ともう1人が付いていたね。
加藤: 奥山とは研究テーマが全く異なってたよね。
宮西: 加藤さんはどんな研究をされたのですか?
加藤: 液体からセラミックスを作る研究でした。塗料のように塗ったものを固めるとセラミックスになるという研究で、ガラスや樹脂の表面にセラミックス膜が創れることが非常に面白かったんですね。そういった膜の研究を続けたいと思って大学院に進むことにしました。
当時、ほかの学校の大学院に行く人は少なかったのですが、研究室の指導教官の丁寧な指導もあって、無事に名工大へ進むことができました。この先生とは今も年賀状のやりとりをしていますよ。この先生のおかげで、研究の面白さを知ったので心から感謝しています。
奥山: 福井大学から名工大で研究開発して、産総研に入るなんて驚いたし、尊敬している。何せ、ここは日本最大級の公的研究機関やから。自分からみたら雲の上の人。(笑)
加藤: 僕も最初から目指していたわけではなかったけど、やりたい研究開発の先に産総研があり、良いタイミングで縁に巡り会って引っ張ってもらえたんだよね。最初は民間の企業にいってモノづくりの商品開発をしたいと思っていたのだけど、結果的に産総研の職員となって研究が続けられたことを嬉しく思っているよ。
宮西: ここでは日本の産業や社会に役立つ技術を開発するのみならず、その実用化や革新的な技術を事業化に繋げたりしているわけですよね。持続可能な社会に向けて、「グリーン・テクノロジーによる豊かで環境に優しい社会の実現」「ライフ・テクノロジーによる健康で安心・安全な生活の実現」「インフォメーション・テクノロジーによる「超スマート社会」の実現」の「とりくみ」がホームページでも紹介されていますね。
奥山: しかも、東大や京大出身のエリートたちが集まっている研究所の研究チーム長をしているのだから、同級生として誇りに思っているよ。
加藤: 自分の研究が人々の社会に採り入れられ、何か貢献できたら嬉しいよね。
宮西: 奥山社長は大学ではどのような研究をされていたのですか?
奥山: 自分は糸の研究をしていましたね。糸を切れるまでひっぱるのだけど、実際のところ、当時は面白くなくて、その道に進みたいとは思わなかったですね。4年になって就活をするときに、将来のことを改めて考えました。絵を描くことが好きだったのと、子供のころは変形するロボットが大好きで、ロボットに対する思いがありました。そして、絵を描いてモノづくりをしたいと考え、教授より勧められた企業を蹴り、大阪で開催された合同企業説明会に出向き、機械設計をさせてくれる会社に就職しました。最終的には社長になりたかったから、そこで、設計、営業、総務から全部の勉強をしようと思ってました。機械設計は材料化学とは分野が違うけれど、材料化学科で学んだ材料力学が使えたのが一番よかった。最も困ったのは製図と機構学で、製図は図面を描くのが好きだったので何とか……。しかし、機構学は全くわからなかったので苦労したけど、独学で克服し、大好きになりましたよ。
加藤: でも、今は社長になっているし、ケーブルやワイヤーの撚線を創る技術は、学校で学んだことが役立っているよね。素晴らしい!
奥山: 縁って本当に不思議や、必然やね。(第1話終了)
コメント
福井大学時代で楽しい学生生活を謳歌した二人は、その後、自分の求める方向に進み、今では、当時の夢、いや、その前からあった子供時代からの夢を実現させています。30年前の楽しい思い出が時を超えて生き生きと蘇る空間は、きらきらと輝いていました。次回は現在のお仕事について聴いていきます。
<加藤智久さんプロフィール>名古屋市立桜台高等学校卒業後、福井大学材料科学科、名古屋工業大学大学院物質工学専攻にて博士号を取得、現在、国立研究開発法人産業技術総合研究所先進パワーエレクトロニクス研究センター、ウエハプロセスチーム研究チーム長を勤める。次世代パワー半導体用SiC単結晶成長からウェハ加工プロセスまでの技術開発と、それらの低コスト化、高性能化、高品質化、大口径対応化の両立を目指した研究を統括している。また昨年度まで内閣府SIPプロジェクトにて「次世代SiCウェハ技術開発」を推進し、本年度から民間とのSiCウェハ技術開発のコンソーシアムを設立した。