新たな「夢」をカタチにする技術創造メーカー 株式会社HCI

社長のコラム

奥山剛旭社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

株式会社HCI 代表取締役 奥山剛旭 × 宮西ナオ子

宮西: 奥山社長はケーブル・ワイヤー開発などの部門に加え、最近ではロボットというカテゴリーにまで進出して活躍していますね。このようなご活躍に至るには、どのようなチャンスがあったのでしょうか?人生には偶然はなく、必然の積み重ねともいわれますが、まずは奥山社長の幼少時代を知りたいです。どんな少年だったのでしょうか?

奥山: 大阪の大東市という場所で、普通のサラリーマン家庭に生まれ育ちました。二人兄弟の長男ですが、弟とは11歳離れていましたので、ほとんど一人っ子のようにして育ってきました。母親には溺愛された記憶があります。きれいな人で、大切に育ててくれました。子供の頃から絵が好きで、絵を習いにいっていました。普通の水彩画から始まり、徐々に油絵のほうに移行していきますが、静物画や風景画などいろいろな絵を描いていました。今でも絵は大好きですね。


1歳の時、奈良県生駒山上遊園地にて両親と


絵が好きで、よく描いていた幼少時代
(5歳の頃描いた絵)


飛行機が大好きだった子供時代
(1歳の時、大阪府大東市の自宅前にて)


小学校6年生のとき、町内会ソフトボールチームの仲間と
(写真右から4番目のボールを持っているのが本人)

宮西: 学校ではどのような子供だったのですか?

奥山: 小さいころは、正義感があったと思います。やんちゃなところもありました。小学校、中学校の時には学級委員長をしており、中学3年になると生徒会長にもなりました。
スポーツは小学校の時からソフトボールをしていて、そのまま野球をしたいと思いましたが、中学になるとサッカー部の顧問をしていた先生の影響でサッカーをするようになりました。この先生は静岡の代表として活躍され、全国大会で準優勝をし、推薦で大阪体育大学に行き、体育の先生になったという経歴がありました。先生のヒストリーに憧れサッカー部に入りました。入ったからには頑張ってサッカーの選手になりたいと思ったこともありました。

宮西: それでは、小さいころになりたかった夢は、サッカー選手だったのですか?

奥山: 小学校の時はパイロットになりたかったですね。大阪では、上空に飛行機が飛んでいるのを見ることが多く、空を見上げるたびに憧れていました。我が家は飛行機で旅行ができるほど裕福ではなかったので、より乗りたかったのでしょう。
それに当時は、テレビなどでもパイロットのかっこよいドラマなどがありましたから。そんな影響もありました。でも中学になり、サッカーを始めてからはサッカー選手になりたかった。
当時の僕は、身体も大きいほうだったのでゴールキーパーでした。先生の指導もあり頑張りましたが、全国大会に行けずに終わりを迎えました。
サッカー選手の夢はこれで終わりましたが、よい経験をさせていただきました。もちろん趣味として、高校、大学でもサッカーを楽しんできましたし、今でも大好きですが……。


サッカー部に所属していた中学3年生当時
(写真左端の赤いユニホーム姿が本人)


福井大学入学式にて

宮西: 今のような仕事をしようという志はいつごろに芽生えたのですか? 

奥山: 大学受験のころから理数系が得意だったのでそちらに行こうと思っていましたが、どの学科に行くかは漠然としてあまり決めていませんでした。でも先生からのアドバイスで、材料関係ならばどの分野にでも役にたつので、材料にしようと思っていました。学校選びは家の経済状況もあり私立の大学には進めないために国立大学を選びました。大阪の国立大学を第一志望に、滑り止めとして福井の大学を受けました。大阪は不合格でしたが、福井大学の工学部材料化学科に合格しました。福井の親戚の家に居候をすることになり、その後の進路は大学にいる間に考えようという軽い気持ちで大学生活に入りました。

宮西: どんな大学生活を送りましたか?

奥山: 大学の所在地は福井市でしたが、すぐ近くには海あり、山あり、自然の豊かなところでした。夏は海に行き、冬はスキー。春と秋はテニスやサッカーをして、よく遊びました。学費を稼ぐためにアルバイトもしました。サービスエリアやファミレスのウエイター、調理もしました。喫茶店で働いたこともありました。ほかにはショッピングセンターで商品の補充をするような仕事もしましたし、家庭教師もしましたね。さまざまな仕事をするうちに、「働く」ことの意義や厳しさを自分なりに学びました。飲食店のマネージャーを任されたときは、売り上げや経費、粗利益の管理まで責任をもたされて大変でしたが、今、会社を経営するにあたって事前の勉強ができたと感謝しています。


スキーを楽しんだ大学時代
(スキージャム勝山スキー場にて、大学4回生のとき。写真中央が本人)


福井大学卒業式の謝恩会にて
(写真下段中央が本人)

宮西: 就職活動はどうされたのですか?

奥山: 大就職活動の時期になると、学友たちはそれぞれの方向に進んでいきましたが、私はなかなか決められませんでした。たまたま大学で勉強したのが撚糸の強度で、「繊度比変化による混繊糸の強伸度特性」という研究をしていた関係で、教授が紡績会社を勧めてくれました。学校に推薦枠もあったので、工場見学にいき話を聞きにいきました。しかし自分の人生の最後まで見えてくるような寂しい説明だったので、切なくなりました。ここで働いて、最後は工場長で終わるのかと思ったときに、がっくりしました。それに職場環境が乱雑で自分には向かないと思ったので、辞退しました。この決断は大学教授の逆鱗に触れましたが、自分の人生は自分で決めたいと思って、そこから本格的に就職活動に取り組んだのです。


次号第2話につづく・・・・・