新たな「夢」をカタチにする技術創造メーカー 株式会社HCI

社長のコラム

奥山剛旭社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

宮西: 奥山社長が就職をするときの決め手となったのはどのようなポイントだったのですか?

奥山: 自分は大学の教授が推薦する紡績会社を断ったので、学校側に頼るわけにはいきませんでした。自分の一生に関わる仕事は、自分のやりたいことを選ぼうと思い、改めて考えてみたのです。
何がやりたいかということは、何が好きかということ。そこを掘り下げてみました。
子供の頃は絵を描くことが好きだったので、絵を描く仕事を考えました。とはいえ画家で食べていく自信はありません。学校で学んだことも考慮して何か「ものづくり」の図面を描ければいいなと思いました。そうなると建築家や設計士です。でもこれらの資格を得るには国家資格が必要で、当時は時間も生活も余裕がありませんでした。そこで機械に目をつけたのです。



宮西: 建築士と異なり、機械の図面を描くには、資格が必須ではないのですか?


奥山: 技術士という国家資格はありますが、一級建築士のように従事するための法的な資格は必要ありません。
そこで機械メーカーを探し、多くの説明会に足を運びました。ところがどの会社でも機械エンジニアの求人募集は、機械学科卒が応募条件なんですよね。自分は材料化学科だったので、その点が不利でしたが、やっと材料化学科でもよいという機械メーカーに出会いました。
ちょうどバブルがはじけて就職難の時代でしたが、内定は5社くらいからいただくことができました。自分はどの会社を選ぼうかと思ったとき、ニッチな企業だが機械設計の経験を積めると確約をしてくれた会社に就職しました。会社の規模にこだわらず、0から100まで仕事について学びたいと貪欲に思っていたのです。


宮西: そのころのビジョンなどはありましたか?


奥山: 実は心の中である夢が大きくなっていました。それは起業したい。社長になりたいという夢です。叔父が工務店を経営しているのですが、
親戚一同が集まる時、彼はとても羽振りがよく、食事に行くと皆にご馳走をふるまっていました。住んでいるところも我々とは違う。子供の時から「社長ってすごいな」と思っていました。幼い頃から身近に接してきた社長という存在に憧れを抱き、就職した会社でたくさんのことを学び、30歳になったら独立して社長になろうと自然に気持ちが芽生えていたのです。


設計者としてドイツのワイヤーショーへ視察に


設計者としてドイツのワイヤーショーへ視察に

宮西: 入社してからはどのような仕事をされていたのですか?

奥山: 約束通り機械設計の仕事をさせてもらいました。8年間設計をメインに、営業や経理のことも自分なりに勉強しました。部品の調達や組立についてもいろいろ勉強して、30歳を迎えたときに、予定通り独立しようと心の準備をしていたのです。
ところが、その頃会社の業績が右肩下がりになりましてね。自分は若くして課長になっていたので、会社の危機を乗り越えるために、みんなを引っ張っていかねばならず、会社を盛り上げることに奔走しました。そこで独立するチャンスを逃し、そのまま続けていたのですが、経営は改善しましたが、もともと経営方針に異論があり、経営者が変わった際の早期退職・募集に応じることにしました。会社からは辞めないでほしいと頼まれましたが、自分の責任は果たしたと思ったので退職しました。31歳の時です。

宮西: 会社を辞めるにあたって不安はありませんでしたか?

奥山: あらかじめ決めていたことですし、良いきっかけだと思いました。父親が数多くの転職を重ねてきた人なのですが、車の整備士から始まり、教職につきたいと資格もとり、公務員試験も受けました。大手商社にも勤務しましたが、転職を繰り返し、最後は、海運会社の倉庫を管理するという仕事で定年を迎えました。
そんな父が教えてくれたことは、「今までチャンスはたくさんあったのに、自分はものにできなかった。最終的な仕事は本望ではなかった」ということでした。「少なくとも大きなチャンスが3回あったのに、そのチャンスをつかむことができなかったのが残念だ。チャンスをつかむ力が何よりも大切だ」と語っていました。その言葉が背中を押してくれ、今起業するのが自分のチャンスだと思ったのです。


良き理解者である父と一緒に


31歳で起業したころの奥山

和泉市善正町で独立した社屋

宮西: 一人で起業されたのですね?

奥山: 当時の自分は0からのスタートなので、一人で独立するしかありませんでした。
社名は「己に克つ」という意味を込めて「克己」、そして創造する会社でありたいと「クリエイト」、「有限会社克己クリエイト」と命名し、大阪の和泉市善正町で設立しました。当時31歳、資本金300万円からのスタートでした。
当時から、これからはロボットが必要になると思っていたので、事業の柱にしようと考えていました。しかし最初の仕事でご縁があったのは、ケーブル・ワイヤーメーカーでした。
もともとケーブル・ワイヤー製造技術を学んでいたので、先方から依頼を受けることができたのです。ちょうどテレビ付きの携帯電話が発売される時期だったので、携帯電話に使われる「極細同軸ケーブル」が必要になり、高品質で生産能力が高い機械ができないか問われ、大企業の役員や技術者の前で、一人でプレゼンをさせていただきました。その時の担当課長や、その課長を紹介してくださった方のおかげで、大きなご縁とチャンスをいただくことができたのです。


次号第3話につづく・・・・・