ケーブル・ワイヤー・チューブ・シート製造装置・試験装置メーカー・ロボットシステム・AIシステムのシステムインテグレータ

社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

宮西: 創業時から幸先がよかったのですね。

奥山: 最初はプレハブの狭い空間を利用しての創業でしたが、2004年3月には、撚線機STF-40Aを開発しました。独立してから2年後の32歳の終わりの頃でした。素晴らしい機械であるとお喜びになり、感謝状もいただきました。また何十台というオーダーもいただき、この開発が創業期の基盤になっていきました。偶然にも素晴らしい方に出会うことができ、チャンスに乗れたことは運が良かったと思います。

最初は一人で始めた会社も徐々に大きくなり、一人二人と社員が増えていきました。2004年の12月には移転しなくてはならないくらい人も増え、岸和田市摩湯町に移転しました。

今ではパートさんアルバイトさんを含めて45人程度の人に働いてもらっています。今後も優秀な方を採用していきたいと思っています。


摩湯工場にて事業拡張した頃の奥山

摩湯工場にて事業拡張した頃の奥山


岸和田市摩湯町の社屋

岸和田市摩湯町の社屋

社内懇親会にて

社内懇親会にて

創業して初めて採用した社員。今もエンジニアとして活躍している

創業して初めて採用した社員。今もエンジニアとして
活躍している

宮西: どのような人に働いてほしいというご希望がありますか?

奥山: 一緒に働いてほしい人は、モノづくりが好きな人。楽してお金を儲けることを求めがちな昨今ですが、コツコツと何かに向かって情熱を注ぎ、それが完成したときの喜びを一緒に味わいたいです。技術は蓄積されるもので、コツコツとやっていくしかありません。上手くいかなくても決してあきらめない根性のある人、自分が向上することに前向きな人に働いてもらいたい。

また人は一人で生きることはできない。それは会社も同じ。様々な協力会社や社内の仲間、そしてお客様がおられて自分達は仕事ができるんだという謙虚な心が大切、それが共存共栄と考えます。


宮西: 2006年に社名変更をしたのですね。


奥山: もっとグローバルに貢献し、創造性を期待される会社になりたいという思いからHCI(Hope Create International)に社名変更しました。有限会社から株式会社に、資本金も1000万円に増資しました。この年の秋には自社ブランド装置の出荷台数が100台を突破しました。
工場も3つに増えましたが、それぞれが小さい工場の集まりだったので、集約して大きな工場にしたいと思い、2008年3月には泉大津市式内町に移転しました。今は工場や倉庫も増え、今度はショール―ムを作ろうと思っています。泉大津に引っ越してきてから押出機EF-17,5Aや伸線機DSP-22Aなどを開発して、順調に拡大することができたのです。

宮西: 今までにご苦労があったことは?

奥山: 2009年のリーマンショックです。全世界的な危機でしたが、当社もすごく影響を受けました。いくら頑張ってもどうしようもない。何とかしようとあがきましたが、世界全体が暗闇に包まれていたのですから。幸いなことに1年でV字回復をし、その翌年は反動でさらに売り上げが上がり、翌年は増資をすることもできました。次にこのような事があっても揺らがない経営・ものづくりをしなければという教訓になりました。

宮西: 2009年にはロボットによる自動化機械の製作販売を開始していらっしゃいますね。

奥山: リーマンショックのときに、時間ができたので、原点に立ち返って自分は何をしたかったのかと考えてみました。すると起業するときに、ロボット自動化機械を作りたかったということに改めて気が付いたのです。ところが、有り難い出会いがあって、ケーブル・ワイヤー・チューブ製造装置が繁忙となり、本来の目標ができていなかったことに気付きました。リーマンショックを機に大切なことを思い出し、ロボットに力を注げることができました。これもひとつのチャンスです。リーマンショックがなければ、ロボットのことを忘れていたと思います。


ロボットによる自動化装置の開発

ロボットによる自動化装置の開発



宮西: 2011年には東北の地震がありましたが、その影響はなかったのですか?


奥山: 大阪ではあまり被害がありませんでしたが、東北にお客さんがいました。そこで何かお手伝いをしたいと思いました。当時は懐中電灯や電池が不足しており、それを現地に送ったりしました。少ないながらも義援金をさせていただきました。しかしその時、大手企業は多額な義援金を送ったり、自社便にてすぐに物資を持って行き多くの人を救っていました。会社として(経済)力を持つことは、このような時も多くの人のお役に立てることができる。もっと力をつけなければと心から思いました。
(第3話終了)