新たな「夢」をカタチにする技術創造メーカー 株式会社HCI

社長のコラム

奥山剛旭社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

宮西: 大和社長はロボット関連の事業で有名ですが、まずはロボットとの出会いを教えてください。

大和: 私の経歴を見ると不思議に思われるのではないかと思いますが、そもそもなぜ防衛大学に入学したのかというと高校2年の時に、父の会社が倒産したのです。今でいう企業再生、当時は和議ということで申請したのですが、経済的には大学に進学できないと思いました。でも通っていた私立の高校から防衛大学を推薦され進学。卒業後は、そのまま陸上自衛隊に入隊したのです。そのころ父の会社が再生され、人手不足になり、手伝いに戻ってきてほしいということでエンジニアとして会社に戻りました。しかし私が30歳のときに、その会社は完全に倒産し、大きな借金を背負いました。ここで反省したのです。その頃の私は、会社の経営状態が悪いことは肌で感じていましたが、見て見ぬふりをし、受動的に生きていたのです。そこで改めて自分で自分の会社を作りたいと思いました。でも後片付けや借金もあったのですぐに起業はできませんでした。




奥山: 30歳で起業を決意されたんですね?

大和: そうです。でもすぐには起業できなかったので、まずは営業の勉強をしようと思って不動産会社に入社しました。3年間くらい勉強した後、会社を設立しようと考えていました。ところがその仕事が面白く、3年の計画が結果的に4年半くらい働きました。でも35歳になったことをきっかけに思いとどまり、30歳当時、「世界一の会社を作る」という思いを持ったことを忘れずに、それを達成するためには起業する必要があると思って不動産会社を思い切って辞めたのです。

宮西: 初心貫徹のために辞めたのですね。

奥山: 自分もちょうど31歳の時に起業しましたので、タイミング的に同じような時期になりますね。




FA・ロボットシステムインテグレータ協会の広報活動をする奥山

奥山: 自分の大学時代は、工学部の材料化学科という学科で主に材料と化学を勉強していました。しかし、就活に入り、自分を見つめなおした結果、一生をかけて手掛ける仕事として、好きな絵を描き、それがカタチになるような「ものづくり」をしたいと考え、小さい機械メーカーに入社。おかげさまで機械設計として8年間し、「ものづくり」に没頭することで、電気・営業・購買・経理・組立とすべてにわたり勉強することができました。もちろん、その会社でずっと勤務するという選択肢もあったのですが、起業する思いを捨てきれず、31歳で起業したところ、ケーブル製造装置の開発で結果をだすことができ、それが事業基盤となり会社を発展させることができました。しかし、リーマンショック時には、開発してきた製造装置が思うように売れず、時間に余裕ができたことで、ロボットをつくりたいという初心を思い出し、あらためてロボットについて勉強した後、ロボットシステムインテグレータ企業として事業化してから、早くも10年が経過しました。



宮西: 仕事が軌道に乗っていたり、多忙だったりすると、自分の本来の夢を忘れて目の前の業務に追われてしまいがちですよね。

大和: そうです。私も不動産の仕事は順調でしたが、「技術で感動を創造する会社」を目指し、ワクワクするイノベーションで世の中を変えていきたいとというヴィジョンがあったので、それを目指し、起業しました。当初、何の技術でもよかったのです。でもヴイストンという会社を創業することができたのは幸いです。
当初は、電子機器・学習用教材等の製造や販売を行う産学ベンチャー企業でしたが、二足歩行ロボットの販売やクラウドAIで運用するコミュニケーションロボット「Sota」の開発などでも非常に注目されてきました。

奥山: ヴィジョンを着実に実現していますよね。



奥山: あらためてヴイストン創業のきっかけを聞かせてください。

大和: 不動産の会社を辞めてから起業する準備をしている間に、色んな起業家の先輩の話を聞いたり、起業家を育成する学校に通ったりしてビジネスプランをたくさん書いていたのです。本当に多くのプランを作っては、いろいろな方に見てもらっていました。そのようなときにある方との出会いがありました。ちょうど2000年に法律が改正され、国立大学の教官が民間企業の代表を兼務できることになり、当時和歌山大学システム工学部教授であった石黒浩先生の技術特許を事業化する目的で会社組織を作りたいということでした。そこで石黒先生を紹介されたのです。最初は営業の手伝いをする話でしたが、2000年5月に先生と会ってすぐに「大和さん、社長をやらないか?」といわれ、8月には会社を設立しました。

宮西: すごいスピードですね!




ヴイストン株式会社本社にて

大和: 色々な会社からの出資もありました。当初は、センサー技術を中心としていましたが、その後、ロボットの市場を創造するために、AI搭載型ロボットの競技会に参加し、ヒト型ロボット「Robovie(ロボビー)」や「Sota」の開発を手掛け、今は人と共存できるロボットを作っています。
確かにヴイストンはワクワクする会社でユニークだし、設立当時は産学連携で作られた会社が珍しかったため、すぐにマスコミが取材にきました。設立したばかりで売るものを持っていたわけではないのに問い合わせが殺到し、設立した当時から、すでに補助金も出るようになっていたので、最初から多忙でした。

奥山: 素晴らしいスタートですね!(第1話終了)

コメント
父親の会社が本格的に倒産した30歳の時に、初めて自分の将来のヴィジョンを考え、その実現のために不動産業からスタートしたという大和社長。大学卒業時に将来のヴィジョンを描き、30歳で起業しようと考えた奥山社長。運命の流れに乗ってロボット関連の仕事に就いて今日の出会いがありました。運命の不思議さを感じるとともに、孔子の論語「三〇にして立つ」にあるように、どうやら30歳というのは大きな決断の年齢でもあるようです。(第2話に続く)

<大和信夫さんプロフィール>昭和38年、大阪市生まれ。防衛大卒業後、陸上自衛隊。その後、産業用プラントメーカーや不動産仲介業を経て平成12年、ロボット開発ベンチャー、ヴイストン株式会社(Vstone Co.,Ltd.)を創業し現職。コミュニケーションロボット「Sota (ソータ)」や二足歩行ロボットの販売で有名、公的受賞も多数受ける。2004~2008年にはロボットのサッカーW杯「ロボカップ」に「チームOSAKA(オオサカ)」監督として出場し、5連覇に貢献。