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社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

宮西: 20世紀は自動車の世紀。21世紀はロボットの世紀といわれますが、今後、どのようになっていくのでしょうか?

佐藤: ロボットは社会の中、人の中に溶け込んでいくでしょう。社会の中というのは、街全体がロボットになります。例えば電車の中で広告を見るだけで、その情報がすぐに車窓に見えるようになるような仕組みになります。気に入ればその場で発注もできる。そして通勤途中で受け取ることができる。駅にあるロッカーもロボットで、そこで受け取ることも可能です。
 家に戻り、声を出せば、鍵を開けたり、電気をつけたり、掃除をしたり、やってくれる。わざわざ情報端末の前に座らなくても仕事ができる。それが社会に溶け込むロボットシステムです。どこにいってもサービスしてくれるロボットが街中にあり、私たちはロボットの中で生活しているような形になります。



宮西: 便利な世の中になりますね。他にも人の中に溶け込んでいくロボットはありますか?

佐藤: サイボーグですね。またロボットに何を求めるかというと働き手、秘書、相談仲間などです。人の一生でいいますと子供の時から世話をしてくれ、働き盛りの時は仕事のサポートしてくれる。そして年をとったら介護をしてくれる。生まれたときから自分のロボットが用意されていて、いつも一緒に暮らす。そういう時代がくるでしょう。

奥山: 先生のロボットの定義とは?

佐藤: 「人あるいは生物の機能の一部、あるいは全部をもつ機械」です。この定義では自動販売機もコインの重さをみて商品を出してくれるので私から見たらロボットです。このような視点から考えたら世の中は全部ロボットになるでしょうね。

宮西: 素晴らしい!

佐藤: しかし、一般の生活の中に取り入れるには2つの条件があります。ひとつは安いこと。そして使いやすいことが必須条件になりますね。




宮西: 佐藤先生にお聞きします。ロボットの役割について教えてください。

佐藤: ロボットには3つの役割があると思います。1つ目は人の役に立つ役割。産業用ロボットなどです。2つ目は人を知る役割。ロボットを作ってみることで、人間や社会のことがわかってきます。科学の対象、ツールとしてのロボットですね。そして3つ目は人をインスパイヤ―する役割で、ロボットによる元気づけや意識高揚です。例えば一般的な情報パネルを見るときの人の目とロボットを見るときの人の目は全く異なるものです。一般的な情報が掲載されているパネルを見るときは大脳皮質を働かせて論理だけで見ていますが、ロボットを見るときは情動を総動員してみています。
 そのため教育現場ではロボットを使うとよいのです。例えばロボットと学生を一緒にして授業をします。教えた後にロボットに下手な答えをさせると、隣にいた学生が「違うよ」といってロボットに教えたりするわけです。それが、よい教育になります。私は男女共学ならず、ロボット共学にしようと提案しています。

宮西: 楽しそうですね。ロボット共学に通いたい(笑)。




奥山: これからの時代は、自動車産業ではなく、ロボット産業を輸出し、外貨を稼ぐことに目を向ける必要があると思っています。

佐藤: 確かにそうですね。ロボットは1952年にアメリカで生まれました。「プログラムで人工の手を動かす」アイディアで特許をとっています。ところがこれを育てたのは日本です。車もアメリカ生まれですが、後発の日本車は優秀です。鉄道もそうです。ヨーロッパ生まれですが、今の日本の鉄道システムの優秀さは、“えきなか”を含めて世界的にも有名です。このように技術熟成力が日本にはあります。徹底的に改善して技術を洗練し、結果的に新しいものを創っていく。このような技術熟成力で、日本は今後も、生き抜くことができるでしょう。

奥山: 日本が生き残るために、ロボット産業で外貨を稼ぐことと同時に、賃金の安い海外へと出て行ってしまったモノづくりをロボットシステムで日本回帰することも考えなければなりません。

佐藤: その通りです。1980年代から30年くらいの間、日本最大の輸出製品は自動車とメカトロニクスでした。日本は今や「モノづくりの先進国」といわれていますが、実はこれらが現地生産になりました。もはやモノを輸出するのではなく、モノづくり現場を輸出する必要があります。さらには安全社会を輸出する役割があります。そしてロボットSIerがその担い手です。ロボットSIerは、ロボットシステムの伝道師ですからね。



宮西: 1952年に米国で産業ロボットの特許が認められ、1960年代に米国では産業ロボットが現れたということですが、日本ではいつになりますか?

佐藤: 1980年代が日本に於けるロボット元年です。1982年に日本ロボット学会が設立されたのですが、その前の1970年代から現場での絶え間ない改善活動があり、きめ細かい改善活動を集積してきました。

宮西: こうして先人たちがモノや産業ロボットの質を変えてきたわけですね。

佐藤: 日本ではモノづくりや産業ロボットを中心にしたフィジカル世界を忠心に活躍してきましたが、今後は、サイバーフィジカルシステムに移行していくでしょう。その時にアメリカはサイバー世界からフィジカル世界に向かうと考えられます。これに対し日本はフィジカル世界からサイバー世界に向かいます。しかも日本は、もともと技術力があるので日本の活躍が見込まれます。何故ならフィジカルのほうが困難性は高い、こちらが動かないとシステムが不成立になるからです。フィジカルからサイバーに向かうので、日本は有利なんですね。2020年からは、ロボット活用の全国展開が始まり、2025年に団塊の世代が後期高齢期になるときにはロボット産業の確立とその輸出が見込まれると思います。




奥山: 私も同様に思います。ロボット化された日本式モノづくり現場を輸出し、外貨を稼ぐことと同時に、HCIで自社開発しているAIなどを利用したサイバーフィジカルシステムのロボティクスを更に磨いていくことで、使いこなす技術を高めることが大事かと……。

佐藤: 日本には機械事業者がたくさんいます。それを「ロボット化」という観点でまとめることができるのは、ロボットSIerであり、ロボットSIerの仕事です、今後、ますます、日本の技術を高度化することが求められますし、モノづくりの現場を輸出するようになれば、国内が空洞化しますので、モノづくりプロセスをより高度にロボット化して、日本のものづくり力を確保し、世界を引き続けることが大事になります。ますますロボットSIerの存在が必要とされます。これからの世の中は、多くの人にロボットSIerという仕事を目指していただきたい。将来、有望な職業の一つであることは間違いありません。

奥山: それを若い学生たちに強く訴えたいところです。私達SIer協会でロボットSIerの価値をもっと発信していきたいと思います。先生もどうぞよろしくお願い申し上げます。

宮西: 将来に向かって大きな夢を描く若者がたくさん現れたらいいですね。本日は何時間あっても時間が足りないくらい素晴らしいお話をありがとうございました。(最終話終了)

コメント
世の中は5Gの時代となり、ますますITやAIの中で暮らすライフスタイルが要求されてきました。急激な時代の変遷の中で、「これから何をしていいかわからない」「将来に夢を描けない」と行き先がわからなくなった若者たちにとっては、サイバーフィジカルシステムの世界で大活躍する新しいロボットSIerという仕事が大いなる助けをもたらすことでしょう。未来に夢を描くことができました。次回は岸和田市長 永野耕平さんとの対談です。お楽しみに。