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社長のコラム

奥山剛旭社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

大学院卒業後、大手企業でロボット関連の仕事に携わっていた髙木さんは、海外赴任の経験も含めて広い視野でロボット産業についての視野をお持ちです。一方、ロボット大好き少年だった奥山社長は、現在、起業してロボットのSIerとしても活躍しています。今回はこのお二人の経験と技術と想いが出会うまでのストーリーをお聞きしました。


宮西: ロボットディビジョン長としてご活躍していらっしゃる髙木さんがこれまで歩んでこられた道のりを教えてください。

髙木: 私は香川県高松の生まれです。親父が銀行員でしたので、四国中を転々と引っ越していました。大学からは関西にきましたが、中学からずっとバスケット部に所属し、大学でもクラブ活動に熱中していました。修論を書く段階になったときに、ロボットをテーマにした題材を選ぶことにしたのです。その後、就職の面接時に「何をしたいですか?」と聞かれた時、特に志望することもなかったのですが、ロボットの研究をしていたので、「ロボット志望」にしたというわけです。

宮西: ロボットに対しての思い入れとか憧れなどはなかったのですか?

髙木: 何もありません(笑)ただし関西にいたかったので、ロボットで関西といえば川重。次が神戸製鋼でした。当時神戸製鋼の先輩が猛烈に引っ張ってくれたので、その流れに乗り神戸製鋼に入社しました。ところがその人は翌年辞めてしまったのですよ(笑)。




髙木: 神戸製鋼は塗装とアーク溶接のロボットを作っており、私は関西勤務を希望していたからだと思いますが、塗装のロボットに配属されました。
アークは神奈川県の藤沢ですが、塗装は神戸にありました。ここで塗装ロボットの開発とそれを使ったシステム全体の開発を手掛けるようになりました。その後、神戸の工場は神戸市の開発区域に指定され、市から立ち退きを命じられたために、1992年に豊橋に引っ越し、そこにロボットセンターを建設しました。当時は右肩上がりの時代でしたから、我々も大きな構想を立て、藤沢からアーク塗装の部隊も呼んで一体になり、さまざまなロボット業務を試みました。とはいえ残念ながら、失敗してしまったのです。バブルが崩れて、我々の事業は売りに出され、買ってくれたのが川重だったというわけです。 

宮西: それで川重に入社されたのですね。

髙木: 2000年のことです。川重では、塗装関係の仕事を10年くらい行ってきました。そこから塗装を離れていろいろな仕事も始め、2014年1月にドイツとUK兼務の社長を命じられました。メインはドイツですが、ヨーロッパの責任者になり、中東やアフリカにも手を伸ばしました。




奥山: 現地で日本と異なる点はありましたか?

髙木: ドイツは職人の国でマイスター制度がありますから町中に職人がいて、町工場が大きくなったような会社が多かったですね。日本でいう中小企業より小さい会社で、そんな会社はすべて有限会社です。一方、株式会社は誰もが知っている大企業しかないという感じでした。ヨーロッパには2社のロボット会社がありましたが、そこが市場をおさえているので、なかなか大変でした。

奥山: どのような戦略をたてましたか?

髙木: トップは弊社を評価してくれるのですが、エンドユーザーさんは日本のように生産技術がしっかりしていないところが多いので、サポートするのはSIerさんです。そこでエンジニアリングサポートをするために、SIerさんのところに行き丁寧に、きめ細かいアフターサービスをしたりお試しでロボットを貸したりしましたね。

奥山: 日本からの輸出ですね? 価格が高くなるということは? 価格で対抗できましたか?

髙木: ほぼ対抗できました。欧州は意外と相場が高いので、ある程度割引したら太刀打ちできました。ドイツには2014年1月から2019年の1月まで、丸5年勤務しました。帰国後、自動車関係のトップになり、1年後に今のディビジョン長になったという経歴です。



宮西: それでは奥山社長、お願いします。

奥山: 自分は子供の頃から一つの野心がありました(笑)。自分の家は普通の家庭でしたが、伯父が工務店を経営していており、羽振りがよく、ステーキをご馳走になったりして、子供心に「なんて素晴らしいのだろう」と思いました。そこで自分は将来、大人になったら社長になるぞと思っていたのです。そして大学に進学しましたが、希望していた大学ではなく、すべり止めの大学に進学しました。相談した学校の先生からは材料系の学校ならば、将来、くいっぱぐれがないといわれ、材料化学を専攻したのですが、それが自分には全く合わなかった……。就活時に教授から紡績の会社を推薦されたにもかかわらず、そこは辞退して、自分で就職先を探しました。自分はもともと絵が好きだったので機械設計をしたいと思ったわけです。
 そこで小さな会社に就職し、組立、営業、購買など、様々なセクションで仕事を学び、8年経過した2002年に起業しました。

髙木: 起業してから20年が経過するわけですね。最初からロボットを?

奥山: 起業後すぐにご縁をいただき、ケーブル製造装置の撚線機を開発しました。それがお蔭様でヒットし2008年までは順調でしたが、リーマンショックにより、いきなり注文が止まりました。
 忙しくなくなったことから、いくつかの経営者向けの勉強会に顔を出しましたが、どれも自分とは合わず、ある時、原点に立ち戻り、ガンダム世代の自分はガンダムを創りたかったことを思い出しました。そして、パンデミックや金融危機は10年サイクルで起こることや、そのような時でも売れるものは売れると確信した結果、業界に垣根のない機械=ロボットに至ったわけです。
 しかもこれからは人手不足の時代が訪れることを認識していたのでロボットは必須です。そこでロボットシステムの勉強を2008年に始め、翌年の2009年にはロボットシステムの初号機を納入し、それから13年が経ちました。




宮西: 髙木さんと奥山社長との出会いは?

髙木: ロボットメーカーではロボットを創りますが、ロボットだけでは何もできません。ロボットのシステム開発や運用を請け負ってくれるロボットSIer(システムインテグレータ)さんがいて、はじめてロボットが起動します。そこで、どのSIerさんとパートナーシップをもつということは非常に大切なことなんです。

奥山: 2016年に川重さんにとってSIerパートナーを拡大していく時期だったのでしょうか? 弊社にもお声かけいただき、「カワサキロボットシステムパートナー」とならせていただきました。とても有難いことです。

髙木: 私が海外に行っており日本にいないときでしたね。人共存型双腕スカラロボットduAroを開発した少し前ですね。それ以来大変お世話になっています。

宮西: 川重さんのパートナーは何社くらい?

髙木: 50社くらいでしょうか? 力のあるところと手をくめばウィンウィンになりますからね。

宮西: パートナーシップを結んでもう6年になるわけですね。素晴らしいですね。(第1話終了)

コメント
お互いに全く違う人生を歩んできたお二人ですが、今、ロボットを通じて出会い、強いパートナーシップを結んで新しい展開を目指しています。お二人の出会いはロボット業界をさらに活性化させることでしょう。次号では、現在お二人のしているお仕事についてご紹介します。お楽しみに!(第2話に続く)

<髙木登(たかぎ・のぼる)さんプロフィール>香川県出身。1960年生まれ。1985年京都大学工学研究科修士課程修了。2001年川崎重工業株式会社入社、精密機械カンパニーロボットビジネスセンターFAシステム部長などを歴任。14年Kawasaki Robotics GmbH、兼Kawasaki Robotic (UK) Ltd.出向、19年精密機械・ロボットカンパニーロボットビジネスセンターFAソリューション第一総括部長、20年4月執行役員精密機械・ロボットカンパニーロボットディビジョン長。