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社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

モロッコ王国前特命全権大使夫人として、これまで20年間7カ国で活躍してきたアルールうた子さん。現在は「中央区に住み続けられる街づくりを」を目指して、高齢者にも優しいバリアフリーな街、災害に強い街、水辺を活かした街、外国人にも住みやすい国際的な街、子育てにやさしい街づくりをしていきたいとおっしゃいます。一方、株式会社HCIの奥山社長も同様に、ロボットを使っての災害対策に貢献したり、人々のコミュニケーションに役立てることなどに取り組み、今後は国際的に進出していく予定です。
今回は、そんな、お二人にロボティクスな社会について語っていただきました。



宮西: うた子さんのご経歴、素晴らしいですね。

うた子: 若いころからいろいろ無鉄砲なことをしてきました(笑)。創業間もない頃の東京ディズニーランドでアルバイトをしたり、TDL アンバサダーセミファイナリストに選出されたりしましたね。また内閣府⻘年国際交流事業「第 19 回⻘年の船」に最年少団員として選ばれ、南太平洋諸国を訪問したこともあります。東洋大学社会学部を卒業してからは、全国に35店舗展開する雑貨屋さんに入社しましたが、日本の流通の仕組みを変えたいと思って、アメリカ大型玩具店トイザらスが日本に入ってくるとき、創業メンバーとして日本上陸に関わりました。いつも思いたったら、すぐに行動に移すというタイプなんですね。無鉄砲なんです(笑)




奥山: 自分も無鉄砲です(笑)うた子さんは、無鉄砲な行動の後、モロッコの大使夫人としてご活躍するわけですね、

うた子: 1990年に友人の紹介で、そのころ次席として大使館に赴任していた夫と出会い、結婚を決めました。当時の夫は外交官という立場でしたので、私はトイザらス社で勤務しながら、社長になりたいという志で働いていました。でも夫が大使になった時「大使夫人」としての役割をしてくれないかと問われたのです。そこで自分の力を投入できる道を考えた結果、会社を辞め、モロッコ王国特命全権大使として任命された夫の仕事を全面的にサポートする決心をしました。大使夫人としての仕事は、すぐにタイに赴任、以後、20年間7カ国(タイ・ベトナム・カンボジア・ラオス・ポルトガル・日本・フィリピン・モロッコ)で貧困層、孤児院、 障害者施設への様々な支援活動してきました。フィリピンでは台風被災地での支援活動、日本では東日本大震災被災地での支援活動などもしてきました。




奥山: 大使夫人の仕事とは、具体的にどのような仕事ですか?

うた子: 毎日、目が回るくらい多くの仕事があります。週2~3回くらいは公邸での昼食会や設宴がありますが、お招きするお一人お一人のお食事のこと、例えばビーガン、ベジタリアン、ハラル、アレルギー食などに気を配るのはもちろん、みなさんに気持ちよく過ごしていただくように席順などにも気を配り、いかに喜んでもらえるかと工夫をこらします。
 日本駐在の時は、日本の皇室とのお付き合いや公務、ほかにチャリティーイベント、駐日外交団との会合、日本の関連団体との会合などにも参加してきました。日本での着席パーティだけで今までのべ約3500人の方をお招きしました。

宮西: それはすごいですね!



奥山: 仕事はどのようにして覚えたのですか?

うた子: 書籍を読んだり先輩に聞いたりして国際的なマナーやプロトコル(外交儀礼)などについて学びました。モロッコ王国はアフリカでもあり、アラブでもありますし、フランス語を話す人が多いという国です。また日本の皇室と同様に王室がありますから、プロトコルは伝統的なものです。もちろん、訪れる国によってプロトコルが異なる場合も大いにありますから、新しい任地ではその国のプロトコルに気をつけました。マナーは相手を思いやる気持ちの中で育みました。そのほか駐日時代にはタジン鍋、バブーシュ、アルガンオイル、マルシェバッグ、塩レモン等々も紹介を積極的に行い、モロッコ王国の認知度アップやモロッカン美容や食文化の様々な広報活動にも関わってきました。




宮西: うた子さんも社長を目指したといいますが、奥山社長も社長になりたかったのですね。

奥山: 自分は、ごく普通のサラリーマン家庭で育ち、裕福ではなかったが、有難いことに 福井大学 工学部 材料化学科を卒業させてもらいました。高校時代は餃子の王将でアルバイトをし、大学時代は、スーパーの店員やサービスエリアのレストラン、ファミレスで店長もどきなど色々なことを体験し、学費以外を稼いでいました。  
工務店を経営している伯父がいて、社長として羽振りが良かったこともあり、将来的に社長になってお金持ちになりたいと思っていました。  
ところが、就活で教授に推薦していただいた大企業の会社説明会に参加し、自分には敷かれたレールがあり、そこに社長になるというイメージができなかったことから、教授には叱られましたが大企業をお断りし、中小企業で1から100まで学び、社長になろうと決心しました。



奥山: その会社で自分なりに納得がいくまで8年間学ばせていただき、自分が開発した機械で貢献した後の2002年に【株式会社HCI】の前身である【有限会社克己クリエイト】を創業し、最初はケーブル製造装置メーカーとしてスタートしました。
ケーブルは無線技術がいくら発展してもなくならない、言わばインフラであり、ニッチな産業でもあるので、事業は右肩あがりに成長しましたが、2008年にリーマンショックとなり、ケーブルメーカーからの注文が保留となり、どうしようもなく、何をすべきか考えた結果がロボットでした。それは、人手不足問題という社会問題から、これからはロボットがあらゆる業種で必要とされると確信したのと、元々「機動戦士ガンダム」が大好きであったことから、ロボット産業を進めることにし、2009年には初号機のロボットシステムを製作し、納入することができました。しかし、それと同時に、産業用ロボットにはAIが必要だと思うようになり、学生達と【泉大津AI研究会】をつくり、ロボットシステムを構築するロボットSIerでは珍しく、ロボットとAIのどちらのシステムも手掛けるサイバーフィジカルシステム企業となりました。

コメント
動機はさまざまですが、お二人とも「社長になりたい」という強い志をもち向上心を養い、目標に向かって進む原動力が同じようです。それが今のお二人の活躍でしょう。次回は現在のお仕事についてお聞きします。

<アルールうた子さんプロフィール>1964年東京都墨田区生まれ。日本トイザらス創業メンバー。その後、モロッコ王国前特命全権大使夫人としてタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ポルトガル、日本、フィリピン、モロッコにて支援活動を行う。各国駐在期間は外交団の中心的な役割を拝命、元タイ王国赤十字外交団会長、元駐日アラブ大使夫人会会長、国際福祉協会CBCB2013名誉会長、元駐日アフリカ大使夫人会副会長、元日本中近東アフリカ婦人会会員、AIWA(アメリカンインターナショナルウィマンズアソシエーション)モロッコ支部会員。シリキット・タイ前王妃より赤十字社第一位褒章授与。シリントーン・タイ王女より赤十字社褒章第二位授与。
 企業人としてのキャリアを活かし積極的に投資・輸入・観光促進について大使館をサポート。20年間7か国滞在したグローバルな体験に加え、主婦として、企業人としての経験豊富な視点をもつ。現在、中央区民として中央区社会福祉協議会ボランティア会員・中央区健康福祉まつり2022実行委員、隅田川テラス花守、SDGs中央代表。「中央区に住み続けられる街づくりを」目指して活動中