ケーブル・ワイヤー・チューブ・シート製造装置・試験装置メーカー・ロボットシステム・AIシステムのシステムインテグレータ

社長のコラム

奥山浩司(剛旭)社長コラム

by 宮西ナオ子 Presents

奥山: 画期的な経営方法をされている吉原会長とは、常々お目にかかりたいと思っていました。この度、ご連絡させていただいたら、自分に会ってみたいとおっしゃいましたが、なぜなのでしょう? その理由をお聞きしたいと思っていました。

吉原: 奥山社長の活動については、ホームページやFacebookで拝見しています。創業からそれほど時間が経過していないのに、なぜこれだけすごい会社に成長したのか、とても興味がありました。特にロボット産業は容易ではないことを知っているので、それが不思議で聴いてみたかった。営業はどうやっているの? 特に大手とはどのように仕事をしているのかなど、知りたいことだらけでした。

奥山: ありがとうございます。まず、会社を創業し、「技術を創造し、夢をカタチにする」を経営理念の一つとしました。他社がマネできない独自の技術を構築していくことをモットーにしています。そして、メーカーにこだわり、HCIというブランドを成熟させていくことに精進してきました。





宮西: 吉原会長が吉原精工を創業したのは30歳の時、奥山社長は31歳で創業したということですが、お二人にはさまざまな共通点があるようですね。

吉原: 私が独立したきっかけですが、最初は、大手企業に就職して働いていました。でも周辺が大卒ばかりで、私が出世する見込みは全くありませんでした。それに大手は仕事に無駄が多いことに気づきました。そこで自分の権限で無駄を省きたいと思い、自分の会社を創業して無駄を減らす経営をしようと思ったのです。

奥山: なるほど……。自分は、子どもの時から社長になりたかった。それは工務店を経営している叔父がすごく羽振りがよくて(笑) 
憧れていたことによります。そこで大卒後は、小さな機械メーカーに8年間在籍し、技術は勿論、営業、購買、経理などを一生懸命に学びました。30歳の時に創業しようと思っていましたが、当時は、その会社始まって以来の若い課長として職務を全うしていたので、その会社が苦境だったこともあり、更に1年間在籍し、会社を盛り返そうと努力しました。お陰様で自分が開発した機械も相当な台数を販売し、盛況になることができ、独立に至りました。




吉原: 私は、1980年にワイヤーカット加工機1台を備え、たった一人で独立しましたが、その後、順調に社員も増え、8年後にはパートを含んで20名の社員にまでなりました。でも1995年にバブル崩壊がありました。次は2002年のITバブル崩壊、さらには2009年のリーマンショックと3回の倒産の危機があり、その都度、経営方針を変更してきました。まずは残業時間を短縮してきたのです。バブル崩壊の時は、残業時間22時までから20時までに短縮、ITバブルの後は20時までの残業を19時に短縮、リーマンショック後は19時までの残業をゼロにまで短縮しました。

奥山: それはすごい変革ですね。

吉原: それまでは、バリバリのブラック企業でしたよ。でも社員から「お金がないなら時間がほしい」といわれたことがきっかけでした。1回目の倒産危機の時からリストラを含めて経営の合理化を徹底的に考えてきましたが、その間、本当に多くの方に助けていただきました。特に中小企業家同友会湘南支部のみなさんのお力添えは大きかったですね。ありがたく思っています。




奥山: 自分の場合は、独立した時、電線メーカーの方とご縁があり、ケーブル製造機械を製作・販売することになりました。その一つが、携帯電話で使う極細ケーブルを撚る撚線機でした。当時はテレビ付き携帯電話が世にでようとした頃で、その需要は非常に高く、高速で生産する撚線機が必要でした。その撚線機を自社開発でき、一挙に多くの機械を導入いただいたことから、ケーブル製造装置メーカーとして仕事の基盤になりました。しかし、弊社もリーマンショックにより売上がどんと落ち込み、どうするべきか試行錯誤することになりました。

吉原: やはりリーマンショックの時はお互い厳しかったですね。

奥山: 仕事が減り、思いがけない時間ができたことにより、自分が本来ロボットを手掛けたくて独立したことを思い出しました。そこで初心に帰り、1年かけて研究しました。そして2009年にロボットシステムを初めて納入することができたのです。それから、三菱電機さん、川崎重工業さん他メーカーとのパートナー連携や、日本ロボット工業会の正会員になったりしながら、今はFA・ロボットシステムインテグレータ協会で役員の一人として活動を続けています。




奥山: 吉原会長のお話を聞いていて、残業ゼロというのは、本当に画期的だと思いました。とはいえ弊社は残念ながらできていません。どうしたら、残業ゼロが達成できるのでしょうか? 何かアドバイスをいただけたら幸いです。

吉原: 簡単です。現場に出て、働いている人の動きを見ていると無駄が見えませんか?

奥山: 確かに見えますね。

吉原: 働き方改革をしたらよいと思います。仕事の内容を見直して詰めていくことが必要ではないでしょうか。無駄なところをなくせばよいのです。しかし本人は自分が無駄なことをやっていると気が付かないことがあります。誰もが自分は一生懸命に完璧に効率よく仕事をしていると思っているのですから……。しかし傍からみると、無駄だらけと思うことがあるので、そこいらへんを指摘し、時間を縮めていけば、簡単に1時間くらいは縮められると思いますよ。




吉原: 残業ゼロにするには社員全体の協力が必要になります。「残業をしない」という意識で社員一丸になれば、古くからいる社員は後輩社員に仕事の効率的なやり方を教え、協力し合ったりすることで、仕事の合理化も進んでいくと思います。

奥山: なるほど。無駄なところをなくすのと、社員同士の協力や意識の持ち方ですね。

吉原: そうですね。いくらこちらがいろいろな試みをしても、社員が動かなければ、何も変わりません。大切なことは、社員がどこまで本気を出してくれるかです。社員にしても残業ゼロで早く帰れるのですから、嬉しいことですね。だから本気を出してくれるものです。こうして、どんどん勤務時間を少なくしていきます。会社で残業をせずに、家に帰ってから新しいアイディアを出すほうがいいのです。誰だってリラックスしている時のほうがよいアイディアが浮かびますからね。最後にこのような残業ゼロの試みをしてみて、もしだめならばすぐに元に戻せばいいわけです。このような気楽な感じで試みるとよいと思いますよ。(第1話終わり)

コメント
リーマンショックではお二人ともかなり激しい苦労を重ねてきたようです。しかし当時の困難をバネに、新しい道を切り開いてきました。まさにピンチはチャンス。そんなお二人にとって、会社とは? 社員とは? 次回は、経営者としての本音を聞いてみます。お楽しみに。(最終話に続く)

<吉原博会長プロフィール>ワイヤーカット加工機で金属を切り出す受託加工を手がける吉原精工(神奈川県綾瀬市、吉原順二社長、0467・78・1181)の会長。創業36年の町工場。基本労働時間は8時半―17時。1日7・5時間。週休2日制で、年末年始やゴールデンウイークは連続10日間。社員わずか7人という中小企業が残業ゼロに成功。さらに賞与は2013年から継続して社員全員に夏・冬とも100万円を支給。経営者がトップダウンで作業工程や就業形態を見直し、残業代を基本給に組み込んだ結果、社員の年収は600万円を超え、優秀な人材の定着につながっているとして注目される。とはいえ現在、吉原さんは2018年8月にステージ4の肺腺癌と診断され闘病中。